ズルカの記事

番組『鉛の霧』備忘録と感想

 

1974年6月29日放送、RKB毎日放送制作のドキュメンタリー番組『鉛の霧』の備忘録と感想。

 

佐賀県多久市。かつて唐津炭田の炭鉱町として栄えたこのまちに、多久冶金工業という会社があった。

多久冶金は小さな工場を持ち、自動車バッテリーなどから鉛を取り出し精錬して再利用に繋げる仕事をしていた。

深刻な公害問題が相次いだ高度経済成長期のただなか、工場設置には地元住民からの反対署名が押し寄せた。敷地外に粉塵を出さないようにする努力は、工内の作業員を犠牲にする。鉛を融解する過程で炉から出る有毒な水蒸気は防塵マスクでは全く防ぎ切れるものではなく、効果の期待される防毒マスクを着けていてはとても仕事にならない。十数名の工員全員が鉛中毒に侵された。

多久冶金の社長・北島義弘さんは、戦中はニューギニアに出兵しブナの苛烈な戦いから生還した頑健な元兵士であり、戦後、多久冶金の前には炭鉱を経営していた。自ら工内で汗を流し工員たちと同じ空気を吸うことで、良い社長としての信頼を得るとともに、彼も深く鉛中毒に蝕まれる。

 

鉛毒の背景には会社の資金不足があった。

精錬した鉛は、なぜか商社を仲介しないと再利用先には渡せなかった。その際に過大なマージンを抜かれ、働いても働いても儲けられない仕組みだったのだ。多久冶金には労基に推奨される公害防止装置が設置できるだけの莫大な資金を捻出する余裕はなかった。金が無いからまともな安全管理ができていないのだ。

多久市立山の中腹にある作業場で、回収した廃品を割って鉛の部分を取り出す仕事をしているおじいさんは、「鉛は今の産業に重要な資源なのに、その供給過程で起きることに対して国が何もしない。北島さんはいい人だが、国策の貧困である」というようなことを言う。金が無いことで健康を脅かされるのは国の怠慢だ。ちなみに社長の北島さんには労災補償も降りない。

若い工員は結婚を機に、将来の子供の健康被害を危惧して辞めていった。多久冶金に残る工員は、北島さんと同じくかつて炭鉱にいた中年男性ばかり。彼らは他に働き口が無いこともあり、ここは地獄だが炭鉱よりはずっと楽だ、と言って仕事をしてきたが、若い工員の辞めていくたび動揺を募らせるようになる。

 

しかし番組は公害問題の提起が主題かというとそうでもない。ここまでの展開が若干急ぎ足だなと感じていると、突然ブラウン管の画面直撮り映像になり、無音のままテロップが出される。

『テレビ・ルポルタージュ 鉛の霧』は、1972年の暮れに一度全国に放映された番組だったそうだ。

この放映直後に多久冶金は、鉛の精錬を公害として宣伝した、また、流通のからくりの一切を喋ったということで取引のある商社から猛抗議を受け、取引が全て打ち切られたのだ。そして会社はあえなく倒産となった。

白い空と工場の鉄塔を見上げる画面のまま、北島さんと木村さんの語りが流れる。

「わやですな」「迷惑かけたですね、本当に」「いえ、不徳の致すところですわ」

 

春、工場の取り壊しに、最後の奉公だと元工員が2人戻ってき、北島さんと3人で、手作りの炉をまたひとつひとつ手で解体していく。このとき、北島さんはこれまではカメラに見せなかった不機嫌そうな表情をなさっていた。

それから敷地と思しき林で取材スタッフにタケノコを採らせたりしていた。鎌を持ってヨタつきひっくり返るスタッフと笑い合う一同。番組によって苦境に立たされた明確な報道被害者であるにもかかわらず、北島さんは木村さんら取材班に愚痴をこぼすことはなかった。演出的な、ちょっともの悲しいエンディングのような雰囲気。

 

展開はまた一転、場面は火事場のごとく慌ただしいRKB報道制作局に切り替わる。

そしてそこには、サングラスのテレビマン相手に何か大きな図面を広げ熱心に説明する、スーツを着込んだ北島さんの姿があった。

その図面は鉛の反射炉の設計図だといい、これを大阪のある商社が注目していると聞いたから資金の引き出しに力を貸してほしい、と言うのだ。

後ろのデスクに当時放送した『鉛の霧』のテープを積んで同じ画角に収めるのも殊勝だ。自陣では何でもできる。専門家の元へ一緒に行き、「大企業のよりすごいよ」とお墨付きをもらうと(これをどう使うのかよく分からなかった)、大阪のその会社まで帯同する。

しかもナレーションが「木村ディレクターの弟がその会社に勤めている」とさらっと言い、あまり言及はされなかったが後に出てくる弟さんの口ぶりからするとおそらくそうした関係性も利用しての交渉だったのだろうか、木村さんら取材班は、どんどん取材対象の出来事、人生に干渉していく。それは、報道被害を出した罪滅ぼしや責任の貫徹を越えた、木村さんの北島さんへの没頭ぶりだったように感じる。

 

しかし数ヶ月後、返ってきた結果は無情だった。

商社の広報課長が木村さんの取材に対し言った「彼には長年の経験と技術力、企画力しか残っていなかった」という言葉がすごい感覚だなと思った。要は資本がないとどうにもならないということで、経営の世界の厳しさを垣間見た気分だった。''Wisdom is better than riches''、知恵は万代の宝という価値観ばかり触れていた自分には真逆の言葉だった。

北島さんの再挑戦は無に帰した。取材班も無力を思い知ったそうだ。

 

「ジャーナリストなんて大っ嫌いなんですよね、あんまり利己主義で。あなた(北島さん)はドラマスターにでもなるおつもりですか。小説の材料のようにはされたくない」というようなことを、北島さんの妻が木村さんを前にしてあんまり憤りをあらわにおっしゃる。(お若そうでワンピースにしっかりお化粧をし正座をして夫に対して敬語を使う)この妻のシーンは「男のロマンに口を挟む分かっていない女」のような表現でもありながら、画角に入り込む木村さんはただその言葉を受け止めて、自らの仕事がジャーナリズムであるという認識に考え入っているように感じた。

 

さて多久冶金の元工員の方々が長崎の池島炭鉱に入ったりし、各々新たな生き方を求めて散っていく中、北島さんが単身タイにいるという噂が入ってき、木村さんら取材班ももはや問答無用海を渡った。タイ鉄道に揺られバンコクから600km北上したバンピンの鉱山にたどり着くと、現地の方は彼は仕事中の事故で入院しているといい、その病院に行くとようやくそこで北島さんと再会する。足の患部から湧く血を看護師に拭かせながら、木村さんを見、こんなところまでと愉快そうに笑う北島さんはあまりに逞しく、悲壮感などみじんも抱かない。

北島さんは多久冶金を興す前に1年間だけ公害対策長として勤めていたアンチモニー工場の会社社長の勧めで、その会社のタイの工場建設の担当者として現地の方々を指導監督していた。アンチモニーは鉛と同じく、資源が枯渇していて各国になかなかの高値での取引が見込まれていた鉱物だそうだ。鉱山には子供の労働者も多くいてみんな重たそうな石を運んでいて、また、女性たちは楽しそうにおしゃべりをしながら石を割ったりしていた。

そしてそんな高山に北島さんが退院し戻ってくると、まるで凱旋将軍かのように熱烈に迎えられており、彼は工場が完成した後も採掘の監督として現地に残るのだと言う。その後のことは分からない。いま日本でネットを検索してもほとんど全く記録に残っていない北島義弘さんは、東南アジア・タイの田舎に像でも建って、あることないこと言い伝えられているんじゃないかとすら想像して、なんか笑ってしまう。

 

北島さんの妻は「ドラマスターにでもなるおつもりですか」とおっしゃっていたけれど、確かに彼には往年の名男性俳優の感があった。北野武さんの作品世界のようなちょっとバイオレンスな雰囲気もあり……、というよりは北島さんのような男を男の映画監督は好きでよく描いていたというべきなのだろうか。身体がでかくて不器用で、義に厚くて陰のある、いわゆる「いい男」であった。

木村さんもそんな北島さんの人柄と熱意に惚れたからこそ、一度番組を作って放映し終えた後も、取材を再開し取材を超えたところにまで踏みこんだのだろうと思うし、ああした判断ができたのは、炭鉱失職者救済の取り組みで行政まで動かした「黒い羽根運動」より後、RKB毎日放送の中に培われ続けていた、番組作りに手段を限らずに取材対象や社会へ働きかけていく姿勢があったからだとも思う。

また、雑な言い方をするとおそらくニュース報道の延長というよりはどちらかというと創作的な趣向の強い映像としてドキュメンタリーを作る人だったのであろう木村さんにとっては、今回報道被害を生んだことが、取材時の自分たちは被取材者の人生の登場人物にもなってしまうという視点を少なからず強めもしたのではないか。本作は木村さんの中では初期の頃の作品だが、その後の彼の番組を拝見すると(というより本作の追加取材の部分から)、インタビューをする自分の姿を意図的に画角に入れ込む演出が何度も見られる。

 

冒頭の鉛毒患者の所感を述べる医師の声が読経のようにゆらめく見せ方や、ラストインタビューのフラッシュバック演出等よりも、報道の功罪に向き合う追加取材の点で印象に残った作品。キャンペーン報道や、日々の報道を中間総括するような番組や、この番組のような報じた後のリアクションを受け止めた再取材を取り込むなどの形式の番組は、製作者側がより主体的に入れ込んで作られるために面白くなるのだなと思った。

 

 

 

番組以外の主な参考(大して参考にはしていないが面白くて読んだもの)

資源開発環境調査 タイ王国 Prathet Thai (Kingdom of Thailand)

失敗知識データベース

ニューギニア戦ブナで日本軍が玉砕 | 戦車のブログ

鉛中毒 - 22. 外傷と中毒 - MSDマニュアル プロフェッショナル版