ズルカの記事

番組『無援 ユッケ食中毒事件 遺族の8ヶ月』備忘録と感想

 

2011年12月30日放送、チューリップテレビ制作のドキュメンタリー番組『無援 ユッケ食中毒事件 遺族の8ヶ月』。

 

ユッケ食中毒事件は2011年4、5月ごろに起きた事件。

この頃の出来事を調べてみると、ビンラディンが死んだのが5月1日のことだった。

わたし自身は、震災の避難生活が終わり形は元の生活に戻っていたのに鬱のような状態から抜け出せずにいた時期でもあった。オサマ・ビンラディン殺害のニュースは激しく持て余し、社会問題への不毛なわだかまりに嵌まるのみだった。個人的にはそれは回復だったが、いずれにせよユッケ食中毒事件のニュースには全く意識を向けていなかった。

それでもこの『無援』で観られる事件当時の映像にはどれもなんとなく覚えがあり、きっと連日大きく報じられていたのだと思わされる。

 

この事件には、メディア映えの要素が重なっていた。

まず、おそらくこの時期すでに東京では震災の話題が下火になりはじめ、視聴者は何でもいいから新しいニュースを欲していたのではないだろうか(事件第一報は4月27日でビンラディン殺害のニュースよりも前)。

かつ、頻繁に焼肉店に行き生肉メニューを好む人たちにとって、食中毒は常に関心事であったろうこと。それも、自分が発症する可能性への不安というより、自分たちの食の楽しみに水をさす存在として危惧されていたように感じる。実際、この事件を機に生肉提供の自粛や規制基準の見直しなどが行われ、それを厳しいとする不満の声はいまだに聞かれる。

そして、焼肉店運営会社の元社長の、会見等でのエキセントリックな言動。

メディアの矢面に立たされた人間が平常な精神ではいられず失言をしたり目立つ動きをしてくれれば、おいしい映像だ。そして見る側は存分に笑いものにする。取り上げられている人は大抵は何かしら過失があってのことだから、それを免罪符にするように、もしくは報いだとでもいうように。

そしてインターネット上では、被写体から人格を取り除き”フリー素材化”しコンテンツとして消費する怖い風潮がある。動画サイトでmad動画のカテゴリを徘徊していると、境界線を曖昧にすることによって成り立つ文化の、しばしば倫理性を欠いた創作の温床となってしまう側面を目にしてきた。

ちなみに番組でも少しは会見や家宅捜索のシーンが紹介されるのだが、チューリップテレビの持っていた会見映像はというと、カメラの位置どりが本当に悪い。特等席を奪取することに心血を注ぐキー局メディアの背中と比して、あの会見や、元社長の姿を綺麗に映すことはニュースの本質ではないのだという局の姿勢が(撮影者自身は不本意だろうが)遠因として表れているように見えた。

 

さてそんなふうに事件がいくら騒がれようとも、家宅捜索、会見、入院していた被害者の死亡と葬儀……分かりやすい出来事を報じきってしまえば、メディアの注目は日々有り余るトピックの中でまた他へ移り、世間にとっては終わった出来事となってしまう。本事件では原因菌がなかなか検出されず調査が難航し、過失の根本が焼肉店から肉の卸売業者のほうへ行ったりしたのもその一因のように思う。

一時は大挙して富山へ詰めかけ競うように報じていた中央メディアが取り払っていった後、そこには取り残された被害者遺族の存在があった。

番組は、富山県砺波市の店舗で家族で食事をし、妻と義母が亡くなり娘と息子も一時意識不明となる大きな被害を受けた家族の、父親である男性の事件後の8ヶ月間を追っている。

 

遺族男性は実名と顔を隠して出演されている。それ自体は珍しいことではないはずだし、出したほうがいいのになどと思うわけではもちろんないのだが、短いカットではなく番組通しての密着であるためか、肉眼の自然な視界に対するモザイクの違和感や、名前表記の欄に「男性」としか書かれないことがやけに目につかえた。

そして男性が憤りや悲しみを吐露するたび、同時に顔が見えないことがかなり共感の障壁となっているのも感じた。心情を慮ることは対象が明確でなくともある程度でき、しかしそれによって湧いた自分の思いを向ける先が見つからないのだ。自分個人の感受性の足りなさなのかもしれないが、番組を最後まで観ると、このもどかしさは大事な感覚だったのかなと気付かされる。

 

また、男性のこうした扱いについてもだが、ナレーションが「わたしたち」と一人称でその時々の取材の経緯や状況を説明してくれるところに、報道と取材対象への誠実さを感じた。

「この日わたしたちは子どもたちへの取材を申し出ていました。男性に顔出し実名での取材も要請しましたが、いずれも子どもたちへの配慮から応じてもらえませんでした」といったように。

 

婿養子であった男性は、妻と義母を失うと周囲に頼れる人もおらず、事件後すぐは慣れない家事と遺品整理に追われ休職していた。そして生計を立てるためすぐに復職し、子供たちのご飯を作った後に午後出勤をするのが事件後の日常となっていく。

高岡市の鉄工所で働く男性の仕事風景、夏の風が通る作業場で電話先と何やら話しながら図面に鉛筆でさらさらと数字を書いていく。被害者には事件被害者としてだけでない人生があり、生活を続けていることを伝えるための描写だと思う。

一方で男性は将来の不安に襲われ、子供を突き放してしまうことにも悩んでいた。高校生である子供の進路の問題も出てき、「うちはもうそういう家庭になったがや」とカメラに弱音を吐く。

 

番組は行政の管理体制の問題を指摘するも、県の生活安全課職員は担当職員が少なく店舗を回りきれないというような言い訳をするのみで、不備を認めない。同程度の担当者数で富山県の倍以上の店舗を訪問しているというお隣の新潟県の事例を示し、検査を徹底していれば事件は起きなかったのではないかと問うと、突破口を見つけたかのような食い気味で「あくまで今回の食中毒と検査体制には直接の関係はない」と言い切る。

ただこうした流暢な返しは、口からいくらでも出せるお役所言葉だろう。取材者側は「まだ言うことがあるだろう」という意志をしかし言葉にはせず無言のままカメラを向け続ける。すると、この職員さん自身本当は検査に入らなかったことが良くなかったとは分かっているのだろう、しかしそれを認めることもできず、静寂に耐えかね「まあ……みんな、起きてからは(検査を)やるんでしょうが……」と脂汗をかきながら漏らすのだ。1時間の番組でここをこそ切らずに入れるところに、この番組の報道作品としての精妙さがある。

余談だが、自分たちの検査システムの説明をしてくれる新潟県の職員の方の何の後ろ暗いこともないさわやかな公僕ぶりが、それが普通のはずなのにやけに珍しく感じてしまって可笑しかった。

富山県の石井知事も事件について何度かコメントしているが、「県に法的責任はない、責任があるのは企業と国」と、県として被害者救済に働きかける意思はないようだった。ちなみに12月の定例会見では、質疑の場での追求のほかに、おそらく県政クラブ員でなく会見に参加することができなかった番組取材班が会見場前で知事の退出を待ち構え、さらに質問を試みていた。

報道姿勢という観点での印象に残ったところをもうひとつ話したい。この年10月に国は生肉提供に関する基準の見直しをし、全国の多くの店からユッケをはじめとする生肉メニューが姿を消した。新基準施行を報じるメディアはこぞって焼肉店に行き「ショックだわあ」と嘆く客たちの声を放送していたが、「わたしたちのこうした報道が遺族の気持ちを逆撫でしていました」と言って、ニュースを観た遺族の声を流す。チューリップテレビの当時のニュースは分からないが、他メディア批判にしたくなりそうなところをあくまで自分たちを含めた報道全体の課題として反省する姿勢が偉い。

 

うやむやなまま事件は終わってしまうのではないかという焦りからか、男性は徐々に元社長や県に対する怒りをあらわにするようになる。語気を荒げたり、また、かなり死を隣に感じている不安定さ。

「死ぬことって怖くないですよ。でもそんなわけにはいかないから、絶対に無いですけど……”はがやしい”ですよ」

はがやしい……これが男性の率直な気持ちのように思う。それでも小さなタオルハンカチを一枚ずつたたみ、子供たちの前では決して不安を口に出さないところに、親としての不器用な優しさと責任感の強さがあり悲痛だ。

 

高校生の娘と中学生の息子、2人の子供たち。息子さんはテレビでサッカー番組を見ている様子などが何度か映されるが、娘さんの存在はほとんど捉えられることがないところに、勝手に彼女の気持ちを考えてしまう。というのも、そもそもこの家族が焼肉店へ食事に行った4月23日は、娘さんの誕生日だったそうなのだ。当然娘さんは全く何も悪くないが、どんなに他人が否定してもきっと本人はいたく後悔していることだろう。語弊があるがわたしはこの事件で一番傷ついているのは彼女ではないだろうかと思いながら番組を観た。

 

また余談。

実際に店で肉がどのように処理されていたのかを説明するため、チューリップテレビが撮影した砺波店の店内や調理場の映像が出てくるのだが、この撮影日が4月22日だそうなのだ。

食中毒には潜伏期間があり、砺波店経由での最初の発症例が同月20日、しかし医療機関から保健所に感染疑いの患者がいるとの報告があったのは26日で(これは別に遅いという話ではない)、なおかつ同店舗経由の患者が再び報告されたことによって調査を開始し、県が砺波店の営業停止と報道機関への公表をしたのが27日のことだと伺えるので、この映像が何の文脈で撮影されたものなのかがよく分からない。映像を見るに、事件とは関係のない、店舗を紹介するニュースのコーナーか何かの素材撮りだったのではと思うのだが、偶然というのか、メディアそれも地元放送局ならではのアーカイブスの潤沢さというのか。

映像では思いきり素手で肉を触ってカットをしている様子などが記録されていて、それは店のマニュアル通りであり店員も怠惰でそうしているわけではないからこそ堂々と撮影させているのだろうが、不思議な映像だった。

また、男性家族が砺波店を訪れたのが23日のことなので、例えばこの22日の撮影で管理の杜撰さに気づいたり最初の発症患者の情報を入手し因果関係に踏み込んでそのことを報じるのか保健所かどこかに指摘するようなことをしぎりぎり間に合うみたいな可能性もあったのだろうか、などと考えてしまった。当時の衛生感覚も取材等の実際の状況も分からず、特に本質ではない話なので、あまりどうでもよい考えだが。

 

12月。この頃男性は少しずつ、事件を発信したい、各所の取材に協力したいといった気持ちを強くしていっていた。ずっと事件の話題は避けるようにしてきた子供たちに対してもメディアに取り上げてもらう重要性を伝えようとしている、といったことを話されていた。

そしてナレーションが入る。

「わたしたちは改めて子どもたちへの取材を申し出ました。それは叶いませんでしたが、嫌がる我が子への配慮に悩んだ末に、男性が少しだけならとカメラに顔を出すことを許してくれたのです」

 

夕暮れの河口。撮影の口実で垂らされた釣り糸の先に所在なさげに目を落とす、男性の素顔があった。ここまで番組50分ほど、モザイク処理の輪郭に遮られて手元に溢れかえっていたいろいろな感情が、ようやく行き先を見つけたような思いだった。

顔を知ることがその人に人格を認めるためにどれだけ大きな影響を与えるか。だからこそ男性のこれまでの「出さない」という選択とこの時の「出す」という選択があり、取材者側が何より顔にこだわるのだ。

そして8ヶ月の取材でおそらく初めて、この質問を向ける。

「あの日店に行ったことを後悔していますか」

男性は澄んだ視線で言う。

「後悔していても始まらない」

 

わたしがこれを視聴した2021年の、事件から10年として出された新聞各社の配信記事には、顔と名前を出して取材を受ける男性の姿があり、彼が本番組取材の後、別の遺族らと民事訴訟に踏み切り長い闘いの場に入っていっていたことが分かる。それを知っていたからでもあるだろうが、「後悔しても始まらない」と答える男性の表情には、想像できないほどの悲しみと孤独や経済的な困窮に苛まれながらも自ら進んでゆこうとする、悲痛な決意が見えた。

 

「後悔していますか」の質問には、同局制作『沈黙の山』での「山小屋としての既得権益を守るためですか」を連想もして、膝を打った(詳しくはこの番組よりは辿り着きやすいであろう『沈黙の山』をぜひご覧いただきたい)。

裁判を起こしているわけでもない遺族の生活風景それ自体は、もう私たちにとっては事件とは特に関係のない、いち他人の人生の範囲だとも言えてしまう。会社として日々のニュース作りに奔走しながら、どんな動機、どんな予測があってこの取材を続けていたのだろうか。

なんにせよこの最後の取材は、取材者側にとっては8ヶ月間の積み重ねの上にある、本当に平たく言えば一つの結実だろう。男性に寄り添いつつその不安定な心境の変化を鋭く見極めていて、待つときは待ち、聞くときに聞くべきことを聞く、その機を見る力だと思った。そして「被害者遺族にとって事件は終わらない」と言いながらも番組を作る以上どこかで区切りを付けなければいけない、その決断がこれであることに、制作者の矜持を見せられた思いがする。

 

その全ては、取材技術という言い方もできるかもしれないし、でもその根本は取材・制作者の優しい人間性なのではないかと思う。これは勝手な願望だが、多くのマスメディアと世間から忘れ去られていき謝罪も賠償もなされないまま取り残された男性のことを「誰にも相談できず」「たったひとり」と映そうとするその取材者だけは、常に男性の隣にいたわけだ。夜仕事を終えて帰宅する車の中で、助手席の記者にさんざん弱気な言葉を漏らした後で、帰宅すると子供に穏やかな声をかける男性の姿を見ていると、断続的な密着取材の機会は男性にとって少しでも救いになっていたのではないか、そうであったらいいな、と思う。

 

以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

あとがき

ちなみにチューリップテレビだからということで見つけた番組だったが、序盤の事件概要の説明シーンで流れる穏やかなバイオリン曲を聴いたとき、この感じは、と思いスタッフ欄を確認すると、構成・編集に五百旗頭幸男さんがいらっしゃった(構成・編集というのがどういう範囲のことなのか、わたしはよく分かっていない)。要所要所のインタビューに入られていたのも声から分かり、やはりこう何かしら出されるものだなあ……などと思ってしまった。全ての判断に疑念を怠らないというような素晴らしさの上に、どこかセンスが抜けている方だと素人ながらに感じる。五百旗頭さんが手がけられた他の作品の感想記事をいくつか、早く公開したいので書くの頑張る。

 

番組以外の主な参考

フーズ・フォーラス - Wikipedia

飲食チェーン店での腸管出血性大腸菌食中毒の発生について(pdf)

5人死亡のユッケ食中毒から10年、遺族「誰も謝罪にも墓参りにも来ない」読売新聞オンライン

えびす集団食中毒事件 思い届かず近づく10年 遺族語る|富山新聞