ズルカの記事

5月27日を前に、木下康介選手の浦和レッズ時代に関する取り留めのない話

先日の京都vsC大阪は、木下選手にとってはJリーグ通算出場50試合というひとつの節目でもあった。プロ入り2、3年でも達成しうるくらいのこの記録は公には何のアナウンスもセレモニーもなされないものだが、数々のリーグを渡り歩いた末にJリーグにたどり着き結果を出している木下選手のここまでの選手人生がそのまま反映されているこの数字を、ファンである自分は試合ごとに指折り数え、大変めでたい気分であった。


50試合のうちJデビューからの2試合と5ヶ月間の浦和レッズ時代だけは、自分はどうしたってじかに知ることはない。これがとても口惜しく、せめて当時の様子や浦和サポーターさんたちの木下選手観を垣間見ようと、ひたすら情報をかき集めていたことがある。


演出された期待と、遠い実像。
2年前の夏、第2ウインドーがまたいくつもの出会いと別れを残して閉幕しようとしていたあの時、ほとんどの人間にとって何の前触れもなく舞い降りた入団リリース。要因は1つではないにせよ、浦和というクラブが木下選手を日本に引き戻しJリーグの舞台に引っ張り出したのだった。オンラインの会見記事と、その後に出された20分9秒のギラギラとした録画映像。JリーグTVの「No Image」は自分もおそらく目には入れていた。


メディア取材、練習見学とファンサービス、露出しうる場はことごとく感染症対策の名のもとで制限に阻まれていた。クラブの公式YouTubeが本格始動するのもまだ先の話(今の浦和チャンネル大好き)。浦和サポーターさんたちは、自クラブの所属選手だというのに有償コンテンツ内で掲載されるわずかばかりのトレーニングフォトのほか断片的な過去情報やそれらを元にしたもやっとした推察が集まってできる受け身のイメージに始終するしかなかったことだろう。


平日ナイターとアウェーゲームの80分以降投入という2度の出場の機会は声出し制限の中で名前をコールすることすらできないで、結局実在感が生まれないままに去っていった選手に対する感情の表れ方はさまざまだった。どれだけ在籍が短くとも「ウチの子」なのだとしてその後の活躍に喜びを感じていらっしゃる声は少し切なくあたたかく(それはディヴィジョンが違うからでもあったかもしれない汗)、一方で厳しい言葉、冷ややかな反応も少なくない。共通するのは「もっと知りたかった」ということだろう。後になって当時の内実が明かされると意外な答え合わせのようでもあって同情を寄せる人も見られたが、でも入団会見アーカイブをやや俯瞰的な立場で目にした自分には、ご本人から語られる言葉のニュアンスにだいぶ温度差があるようにも感じた。あのときに湛えていた熱の、間違いなくあのときにだけあった種類の熱がそのまま膨れ上がった先を見てみたかったような気もした。その世界線では自分が木下選手に思い入れることはないのだろうけど、本当はそうなっていればよかったんだ、浦和サポーターさんたちもそれを望んでいたんだろうな、などと暗いことを考えもした。


判断と実行の目まぐるしい繰り返しが身に付いているスポーツ選手の思考には多分こんなifの余地はない。「全てが今につながっている」、そうおっしゃっていたように、木下選手は常に変えられない過去を肯定し、今できる最善の奮闘をされているのだと思う。あの夏鮮烈な赤を抱き、そこに1年をかけた青が深く差したから、纏うユニフォームはいま紫となった。ファンの側としても、応援しているチームから離れてもその姿を追いかけてしまうのは、2試合とまたは38試合とその期間が無駄じゃなかったと実感したいからでもあるのかもしれない。

 

京都ホームではあるがひとまず浦和戦が週末に迫っており、これが今シーズンの大きな楽しみである。ここ数試合の出場時間はやや物足りなく、どうやら今日のルヴァンにスタメン出場されるようなので、また週末はお休みとかだけはどうかご勘弁くださいチョウサン~という感じだが、きっと今日の試合でコンディションを上げられ、週末はサンガスタジアムのピッチで躍動される姿が、あのときベールに包まれたままの木下選手をそれでも見守っていた浦和サポーターさんたちの目にようやく焼き付けられることだろう。そしてあの力強いエネルギーを持った真っ赤なスタンドを眼差す木下選手の表情が、笑顔だったらいいなと思う。